武田勝頼本陣地 医王寺 |
長篠城攻撃に際して勝頼は、城の北側に位置する医王寺の裏山に本陣を置いた。 ここは長篠城をにらみつけ敵の逃げ道を塞ぐとともに、味方陣地をもくまなく見渡すことができ、指揮をとるには絶好の場所であった。 また、西方にも視野が広がり、長篠城の救援軍が近づくのを視野に入れることもできた。 |
大 通 寺 |
長篠城の瓢郭に隣接しており、まさに城内を上から覗きこむような位置にある。城攻めでは、武田信豊・馬場信春・小山田昌行が前衛としてここに陣を敷いた。 |
大通寺盃井碑 |
5月19日、援軍到着を知った武田軍は勝頼を中心とした家臣たちによる軍議をこの大通寺で開いた。 この席で勝頼に撤退策を退けられた馬場・山県らの諸将は、空しく退出し、その夜、寺内の泉で水盃を酌み交わし、「詮なき命長らえて、武田の滅亡せんを見ん事心うし」と討ち死にを誓い、夜明けまで語り明かしたという。 |
天 神 山 |
長篠城から平地を北西にいったところに真田信綱、土屋昌次らが陣地を敷いた天神山がある。 |